長岡高等学校の歴程(記念資料館)
(I)淵源
(1)長岡藩黌崇徳館・・・・・・・・・・・・文化5(1808)
藩老山本老迂斎の書堂を受け継ぎ、長岡藩九代藩主牧野忠精創設、古義学を教授。
長岡藩の医学塾濟世館・・・・・・・・・嘉永6(1853)
長岡藩医田中春東(号、修道)創設。
(2)国漢学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・・明治2.5~明治4.8
長岡大参事小林虎三郎により国漢学、洋学教授の学校として開校、三島億二郎の尽力により戊辰戦争後の長岡藩の教育の基礎を確立。
柏崎学校分黌となり廃止。
(3)長岡洋学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・明治5.11.23~明治6.11
三島億二郎により、初期の慶応義塾にならった英学教育に重点をおく学校として開校した。長岡高等学校の直接の母胎となった。
(4)新潟学校第一分校、仮学校として長岡洋学校は変遷
・・・・・・・・・明治6.11~明治9.7~明治9.11
明治9.10.20井上円了 和同会創設、寄宿寮舎生の演説会として開会され、後の生徒会としての和同会に発展。
(II)基礎確立期
(5)長岡学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・明治9.11~明治19.4
明治 9.12.1 開校式に臨んだ県令永山盛輝の和歌「長岡の文の林に生い立てる若木は国の柱とぞなれ」が第二校歌の一節に挿入されている。
(6)私立長岡学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・明治19.4~明治25.9
明治19.10田中春回らによって学校私議草案が県に提出され、存続。
(III)発展期
尋常中学校時代
(7)古志郡町村立長岡尋常中学校・・・・・明治25.10~明治26.8
(8)古志郡立長岡尋常中学校・・・・・・・・・明治26. 8~明治32.3
(9)新潟県古志郡立長岡中学校・・・・・・・明治32. 4~明治33.3
明治30.10校舎を稲荷屋小路から諏訪堂脇の現地に移転。
県立中学校時代
(10)新潟県立長岡中学校・・・・・・・・・・・・明治33.4~昭和23. 3
大正4.4校舎全焼、大正5.9 校舎新築、移転
「校舎は焼けても校風は焼けぬ(元田龍佐校長)」
県立高等学校時代
(11)新潟県立長岡高等学校・・・・・・・・・・昭和23. 4~
*書写 和同会雑誌 第一号 明治22.12.10 発行
*印刷 和同会雑誌 第一号 明治28. 1.23 刊行
*長岡中学文庫設立 大正 4.10 現在の長岡高等学校記念資料室に発展
現在の長岡高校
長岡高等学校公式ホームページのリンクを以下に掲載します。
http://www.nagaoka-h.nein.ed.jp/